エッセイ
エッセイ

お百姓さんはすごい!

 事の起こりは、頼まれた土日の缶詰当直にある。義理も人情もあり、医療の心の仁と義もある私は『困っている』と頼まれるとノーが言えない。実は、北朝鮮が攻めてきたときに、お国の役に立てる??医師でありたいこともあり、ついつい引き受けてしまうことになった。

 かくして、土日当直となると、普段の週末の集約的な家事とは逆に土曜日の夜の当直はなんだか気が緩んでしまうようで、病棟の消灯の9時前、気になる患者さんの病棟からの報告やその診察、指示が終わり、部屋に戻ると突然に睡魔が襲い、それからは意識レベルがぐっと下がるのに30秒もかかっていないと思う。ふと気がついたときには大体夜中の3時である。なんだかそこからいろいろと・・・こうして原稿や書類書き、自分のやりたいことが始まる。夜明けの山際ようよう明りて、煙こそたなびかないがスズメの鳴き始めたる、いとおかし。鶏が鳴くは、夜明けを告げるにはやや早すぎかな。

 人間にとって一番大切なことは休息であり、その上に日々の行動が成り立っているのがこうしてよくわかる。

 何と私は、体内時計によりかっちり6時間で睡眠に区切りをつけるようだ。もう一度寝てもよいのだが、普段は目が覚めれば家事にとびかかる。私は子どものころから家事が大好きで、少ない時間をむさぼるような『家事中毒』兼『自分の家族中毒』である。家の中では私は仕事はどうもできない。家族と家事以外は目に入らなくなっている。そういうわけで、家事に諦めがつけられるのは仕事中と当直の時だけである。

 というわけで、夜中の3時の丑三つ時に目が覚めると、時間がもったいなくて再度眠るわけにはいかず、当直の間にやろうと持ってきた仕事を始める。が、なにしろさすがに当直室は静かすぎて怖い。CDプレーヤーを持参して、CDを聴くようにしている。

 あるときのことである。持ち込む仕事の荷物がありすぎて、自分の車のCDプレーヤーを後から車に取りに行きなおすつもりであったことをすっかり忘れていた。夜中の3時に目覚めてから突然それに気がついたが、すでに玄関は施錠されており、静けさが怖いから自分のCDプレーヤーを取りに行きたいと言って玄関を開けてもらうわけにはいかない。

 夜中のテレビをつけたが、テレビショッピングがしつこく、騒がしい。経口的に摂取したヒアルロン酸、コラーゲンは胃や小腸であっさり分解され、ただのアミノ酸に分解されてもとのヒアルロン酸やコラーゲンには戻らないというのに、どうして体の中で『関節に効く』のだ。まるでヒアルロン酸やコラーゲンのまま関節や皮膚に到達するかのような偽りの言葉を並べる。コラーゲンを経口で取りたければ、すっぽんエキスでなくてもよい、ふかひれでなくてもよい、魚の皮、鶏の皮を残さず食べればよいのである。サバや鶏を煮炊きした後の煮凝りを捨てずに食べればよいのだ。

 ビタミンCは腎臓から尿にどんどん排泄されるのに、レモン100個分を一瞬に口から取ることがどうして体に役に立つのだ。ビタミンCを一度に取っても、吸収されるのはほんの一部でほとんど尿に出てしまう。鉄分も、口からとったものは胃の中でしか吸収されない。だから、レバーを一度にたくさんとっても、ほとんど吸収できないまま捨てられてしまう。要するに、ビタミンCも鉄分も三度の食事の中で少しずつとることの方がずっと効果があり、一度に取っても鉄分不足が補われるわけではない。たくさんとっても、それは捨てられる分が増えるだけである。

 たとえそれらが不足すると肌や関節に支障があっても、過剰なら肌や関節に良いわけではない。この医学の進歩した時代において、矛盾だらけの説明と『愛用者の感想』を並べ立てる夜中のテレビが、たくさんの人を欺いて暴利をむさぼっていると思うと、とても聞き苦しい。おまけに、あの『愛用者』は本当の『愛用者』ではなく、タレント志望の人達だそうだ。道理で、服薬の『ビフォアの時点の映像』があるわけだ。

 まるでタイムサービスのような、『番組終了後30分以内の値引きサービス』に至っては、本当にひどいと思う。もともと、いったいいくらで作って、いったいどれだけこの長ったらしいゆえにはなはだしく高額のコマーシャルを流せるのだ。いくら言論の自由、報道の自由と言っても、やっぱりこれは詐欺である。CDプレーヤーを置き忘れてきたことをひどく後悔したが、もう遅い。

 明け方5時を待って、やっとNHKの番組放送が始まり、チャンネルをそちらに移動させてほっとした・・・気がつけばいつの間にか朝食の時間で、検食を終わり、また仕事に戻った。ふと気がつくと、テレビは『育てた大根を、今から土を掘らずに収穫する』と言い始めた。

 静けさの怖さを消すためにつけていたテレビがいったい何をやっているのか・・・と向き直って見てみると、なんと、縦長の不織布の袋の中で育てた大根を、袋に縦切開のメスを入れて・・・いや違う、普通のカッターで割いてざっと崩れ出た土の中から見事な真っ白い大根が出てきた。同じやり方でジャガイモも、全くの無傷で美しく出てきた。

 すごい!私なんて、ごく浅い土の中のサツマイモですら、傷つけながら堀った。保存は聞かなかった。天然の皮は、野菜も果物も、人間の皮も卵の殻も、最近を侵入させないことを今更にすごいと思う。野菜や穀類の皮を傷つけてしまえばたちまち細菌の餌食で、保存はきかない。ゲンタシンを塗ってもダメである。

 私は思わず見入ってしまった。それからは、日曜日の朝8時はCDを止めて、NHK教育テレビの『やさいの時間』『園芸ビギナーズ』『趣味の園芸』を見るようになった。

 子どものころは、学研の月刊雑誌『科学』で付録についてきたいろいろな種や球根を、何も考えずに庭に植えた。そういえば、いろいろな植物を植えたものだった。鶴の子大豆も父に教えてもらって、穴を掘って三粒ずつ埋めた。すごい収穫だった。

 私の子どもたちも私の子ども時代のそんな話をしたわけでもないが、なぜかかつての私と同じように、いや、放置して植物を育てた私とは違い、植物に手をかけていろいろ作り始めた。土を買い、プランターやその他の園芸道具を買って、いろいろなものを育てていた。

 私もときどき空いたプランターや植木鉢を使わせてもらって何かを植えたりしていたが、プランターや鉢では子どものころ庭で育てたようには一向にうまく育たず、少し花が咲いていても自然に縮むように枯れるばかりであった。朝顔だけは唯一、毎年咲いてくれた。いや、種を撒いたからではなく、以前に患者さんからもらって植えたものが花を咲かせ、種をつけ、それが自然に落ちて毎年勝手に咲くようになっていただけである。

 『やさいの時間』の番組は、私が植えたものがなぜ全くうまくいかないかを如実に教えてくれた。私にとって、この日は私のベランダ菜園の感動的な幕開けであった。

 私は小学校のころ習った知識では、発芽の条件は水と空気、植物が育つ条件は、水と空気と土と日光であった。今でもそのときの授業の光景も、プリントも、学校の先生が大好きだった私ははっきりと覚えている。しかし驚くことに、現実はそうではなかった。水と空気と土と日光でよく育つのは雑草達である。それから育てていく間に、ことさらに雑草の逞しさと図々しさにはしょっちゅうあきれ返った。

 私はそれまでもときどき、ベランダにある子ども達のプランターのあいたものに種をまいていた。たとえば三年前に百均で子どもたちが買ってあった種の残りを私がまいて、一生懸命水をやるが、なかなか生えてこない。2週間ほどして突然小さな芽がたくさん出てきて、喜んで子どもたちに報告をした。そしてそれらに本葉が出てきて、次第に葉の数が増え、やがてそれがまいた種からの発芽ではなく、単なる雑草であると子どもに教えられた時の衝撃は・・・・いうまでもない。いとわろし(たいそうよくない)!

 私は園芸にはいつもあざむかれてばかりだった。なぜうまく発芽し、育たないのかがわからなかった。が、それはついにNHK教育番組『やさいの時間』のおかげで見事に解明された。 

 人間は、すごい!人間は、ただ植えても作物は育たないという理由をひとつひとつ解明して、ほかの動物がなしえない『農業』というものを弥生時代からなりたたせていたのである。

 こうして私は、土日の缶詰当直に大きな楽しみができた。午後9時には消灯とともに瞼は閉じ、午前3時に起き出して、それからが朝の8時が待ち遠しい。なぜだか家の中では、日曜日の朝の8時にはその番組があるとわかっているのに、まだ家族が寝ている8時はつい家事に夢中で、見ずに番組が終わっている。子どもたちに向かって、前夜、たいてい『起きて驚くな~、明日の朝は家の中が変わっているぞ~!』と、朝起きてからは死に物狂いで掃除や整理整頓をしているために、気がつくと・・・・日曜日の朝8時の『野菜の時間』はすっかり終わっていた。運よく子ども達が起きていれば、

「かあさん、『野菜の時間』が始まるよ。」

とテレビの時間の8時を気にしてくれて、一緒に見ることができた。ならばテレビを最初からつけていればいいと思うが、我が家ではテレビはうるさい雑音で、その代わりにCDのほうが鳴っているからである。私はうきうきと歌ったりゆれたりしながらそれらのバックミュージックで家事にいそしんでいる。(ちなみに、テレビにあまりご縁がない我が家には、録画機能がない。また録画しておいても、たぶん、家の中ではそれを見る時間がない。その時に見られなければ、あきらめるほうが身軽でよい。)

 かくして、缶詰当直の日だけは、『野菜の時間』『趣味の園芸』を逃さず見ることができるようになった。知識はそのたびに着実に増えていった。脳みそは20gくらい増えた。

 そう言えば、子どもたちは土を黒いビニル袋に入れて、日なたに出していた。日にちをかけて日光消毒をするか、急ぐときにはぐらぐら湯でふるっておいた土を熱湯消毒をする。そして次の日にプランターに鉢底石を敷き、その上に熱湯消毒した土にアルカリ化剤の苦土石灰を適量の少量混ぜて入れ、さらに腐葉土や牛糞堆肥を入れ、そしてまた先ほどの土を入れて『土づくり』をし始めた。

 土をざるに入れてふるおうとすると、長女が

「土ふるいはすごくほこるから、ふるうときは洗濯物に気を付けてね。」

と言った。何と、私の知らないうちにそれぞれ子どもたちは私の知らない知識をすでに持っていて、いろいろな経験を持っていた。

 以降も後述のように、私は子どもが植物栽培においてもとても頼りになることも知ることになるのである。子どもたちを育てて本当によかった!かわいい子どもたちだ!

 人間とは素晴らしい生物である。学問とは、何と人間臭いことか。なぜ私が植えた野菜や花が育たなかったのかの謎は、これらの番組の中でおもしろいように次々と解明されていった。

  • 一度使ったプランター内の土は、一つの植物が咲いて実を結んで終わると酸性に傾いており、そのままでは次の植物は育たない。そこで苦土石灰を買ってきて土に少し加え、いくらかアルカリにもう一度偏らせるのである。
  • 『連作障害』という現象があり、同じ系統の植物をプランターや鉢で育てようとすると、たとえその土を手入れして作り直しても、同じ土である限り、うまくいかない。
  • 土の中に入った植物の枯れた葉や根は、カビをはじめ、植物のウイルスや細菌の巣窟になりやすいために、これまでの私のように『腐葉土のかわり』として扱わないことである。枯れた葉や茎は、きれいに取り除く方が無難である。
  • 土の中に残った前の植物の根は、土の水はけや空気のとおりが悪くなるもとであり、ふるうことできれいに覗く方がよい。
  • プランターや鉢の中の土にはミミズなどが入らないため、土は水やりで圧縮されやすく、通気性が悪くなりやすい。通気性が悪いと、根は酸素不足で根腐れしやすい。だから、この間まで見事に花が咲いていた植物の後のプランターや鉢であっても、使った後には土を全部出してふるいにかけることで水はけの悪くなる原因の土の圧縮を除き、通気性を作る。いわゆる畑を耕して使う道理である。
  • ベランダのプランターや鉢ではミミズなどの生物が存在しないため、天然の肥料になるミミズなどの糞がない。またそれらの通り道でできる通気口もない。だからベランダ菜園では栄養そのものや空気を土にほどこしていかなければ望む野菜や花は育たず、栄養や空気をさほど必要としないたくましい雑草に入れ替わっていたりする。栄養については最初から土の下に化成肥料少量や堆肥を入れ、一か月ほどから液肥など即効性の肥料を足す。薄い液肥なら10日に一度、植物によってその他の油粕など15日から30日に一度日を決めて『追肥』をすると、面白いようによく育つ。肥料の種類を間違えると、とんでもない収穫になる。肥料も極めれば、奥が深い!収穫が多い!
  • 水が土の中で温められて土とともに膨張すると水のはけが悪く、根腐れする。したがって、土が日光で暖まらない朝の9時までに水をやるほうがよい。夏などは、昼間にプランターの熱い土に昼に水をやると水があっという間に熱くなって根が煮えてしまい、根は傷んでしまうそうである。だから夏は9時までの水やりを逃したときには、よほどでない限り、たとえしおれても、夕方になってから水やりをするほうがましだとのこと。また冬は根が凍るので、逆に夕方や夜は水をやらない。
  • 水やりをするのに、ちょろちょろとかけるのは庭などの土の場合である。プランターの場合は、水やり行為に根に酸素を送る、微生物などを洗い流すなどの意味合いがあり、水やりでは水が下から一気に抜けるほどたっぷりとやることである。しかし発芽して本場が5,6枚になるまで、小さな種が流れないように、また出たばかりの小さな芽、伸びかけた根が折れないように気を付ける。発芽しかかった種がちょっと流れてまがっただけでも芽が傷んでしまう。それ発芽して本葉がいくつか出るまでは、じょうろを使う。
  • 土に配合する肥料には葉をおいしく作る場合、花を美しく咲かせる場合、実をおいしくならせる場合などに応じて、リンやカリウム、窒素にそれぞれの成分の割合がある。
  • 肥料を根元にやってはならない。植物が痛んでしまう。必ず根元から離して肥料をやること。

 かくして、私の植えた野菜や花はどんどん発芽し、かわいいたくさんの芽はやがてどんどん育っていった。まさしく、トトロのあの場面の世界である。今度は、日光消毒や熱湯消毒のおかげか、雑草の混入は本当にわずかなものであった。

 春の日差しの中、幼菜大根、春菊、ベビーリーフ、三つ葉、ニラなどはわさわさと育ち、私は毎朝目に見えるそれらの成長を楽しみにベランダに走り出るようになった。それらを摘み取っては、食卓で青味を添えた。摘むときの、レタスのパリッという感触がたまらなく幸せである。摘んでも摘んでも伸びてくる春菊ができすぎて、みじん切りにした春菊をスパゲティ・バジリコのようにスパゲティを炒めた最後に思い切り散らした『スパゲティ・シュンキコ!』も大好評であった。夏場はニラなんて、収穫後10日でまた15cmは伸び、最高だった。

 ところが・・・である。ある朝、変なものをみつけた。春菊の新しい葉の部分に変なものがいる。よく見れば、大小のアブラムシであった。

三女がそれを知ってさっそく『木酢液をかけるとよい』と教えてくれた。木酢液とは、水1000ccに食物酢30ccをいれた液であり、『アブラムシが出始めるとたくさん必要になるから、ペットボトルにつけるスプレーのキャップを買うとよい』と教えてくれた。次女、三女がちゃんと100均ショップへ連れて行ってくれた。かくして、無事その日のうちにそれらをシュッシュッと吹き付けた。翌日、翌々日と、アブラムシは少し残るかなという程度であった。

それを見届けて、土日の缶詰当直に入り、『やさいの時間』で新しい知識を身に着けてルンルンで月曜日に帰ってきた。そしてベランダに出て仰天した。たった一日木酢液をやらなかっただけで、無数のアブラムシへと増殖していたのだ。春菊の育て主の私よりも先に、勝手に春菊を食べているなんて!何の断りもなく!

まあ、断られても許しはしないが、まるで泥棒だ!逮捕したかったが、数が多すぎてあきらめた。

 三女に

「アブラムシは洗ったら落ちるよ。食べる気しないけど。まあ、全部一回刈り取ることだね。」

と教えられた。子どもの言う通りで、流水でガンガン洗うと、アブラムシはきれいによく落ちた。しかし、せっかく育てた春菊を捨てるには忍びなく、アブラムシが残っていないことを願って、私だけが思い切り食べた。おいしかったが、何重にも複雑な気持ちであった。

 そして次の朝、ベランダに出た私は怒りが頂点に達した。泥棒アブラムシは、またしても隣のプランターのベビーリーフのほうに無断で引っ越しをしていた!

 また刈り取らなければならない。鳥インフルエンザの養鶏場の農家、口蹄疫の畜産家の人たちの気持ちは、こんなちゃちなものではなかったと思うが、私も泣く泣くまたベビーリーフを全部刈り取り、プランターをひっくり返してまた土を日光に当て、思い切り何度も『これでもか!これでもか!』と熱湯消毒をして、再度ゼロからやりなおすことにした。

 実は初回の種まきは、これまでの経験から種を撒いたほど発芽をしないだろうと、密に撒いていた。しかし、発芽率が非常によく、密集しすぎて間引きも大変なほどであった。であるから、2回目はレベルアップし、薄くまいた。

 初夏の日差しの中であっという間に双葉が現れ、ぐんぐんと成長していった。ベビーリーフやレタスの幼菜は、食卓で美しく活躍した。食事の支度に取り掛かるときに、ベランダに出てそれらを摘み取る作業はとても楽しかった。葉同士が重なったりして重みで少し部分的に痛んだものも、ほおっておくと枯れて汚く土に落ちて、土を湿潤させて病気のもとになるというため、私が調理中につまみ食いをした。とても新しくて、おいしかった。

 新しい野菜にはそれぞれの野菜の香りがあることを、私はこの年令にして、初めて知った。こうなると、スーパーで葉もの野菜を買う気がしなくなった。取れすぎたときは、マリネにした。何のことはない、ハムかベーコンと玉ねぎスライスと一緒にポリ袋の中でフレンチドレッシングに付け込めばよい。10分でも食べられるが、その昼か夜が食べごろである。夜つければ、翌朝が食べごろである。

 初夏にはプチトマトの番組放映があり、もちろん私は仕事場近くの種物屋の前川種苗に走った。重みを支える朝顔などでおなじみの支柱も、ミニトマトのために買った。ついつい、『トマトがおいしくなる』と書いてある『蝙蝠(こうもり)の糞の肥料』も買ってしまった。子どもの頃、『科学』で植えて見事な赤い花を咲かせたグラジオラスの球根も、つい、黄色、紫、ビンクと三つの色違いを買ってしまった。オクラも種を植えた。

 次の月には番組で『きゅうり』を、また『ゴーヤカーテン』を見て、きゅうりと朝顔カーテンを作るための支柱ときゅうりの苗を買った。ピーマンの苗も買った。

 もらった紫芋の一番小さいものを植えてみたら、どんどん葉が伸び始めた。

 だんだんと、ベランダは所狭しとなってきた。プチトマトがたくさんのかわいい黄色い花をつけ、それを『揺らせて受粉を促し』、日光をあびてプチトマトがたくさんの緑の丸い球をつけ始めたところ、台風でベランダからそれらを守るべく移動をさせていて、緑の球はたくさん落ちてしまった。ピーマンも、白いかわいい花が簡単に落ちてしまった。

 もう一度鼻(花)からやり直しである。失意の中からも立ち上がって、水をやり、肥料をやり、世話をした。そのころは『奇妙な葉は雑草である』と見極めも付くようになり、それらは育てないで抜く効率の良さも得られた。

 そして季節は梅雨に入り、しっかりした日照時間がなくなっていった。すると、急にトマトもピーマンも花がつかなくなってきた。私は焦ってしまった。

 驚いたのはミニひまわりである。だんだんと下のほうから葉が黄色くなってきた。今のバイオ技術で葉っぱも黄色くなるのかなあと首をかしげながら、私は子どもに

「これって、梅雨で陽がちゃんと照らないせいかなあ?それともそういう品種?」

と漏らした。すると三女が、

「かあさん、ひょっとして肥料をやりすぎた可能性は?」

と訊いてきた。

 図星である。日照時間が少なくなったので、光合成によるグルコース産生が落ちたことを心配して、つい液肥を増やしたことを子どもに説明した。三女は教えてくれた。

「これはきっと肥料まけだよ。」

 そういえば番組の中で、肥料をやりすぎてはいけないと言っていた。こういうことだったのか・・・。植物も子どもと同じ、無理をさせて伸ばそうとすると、肥料の主成分のリン酸やカリウム浸透圧で根が傷むらしい。驚きである。

「オクラがあんまり背丈が伸びないで、低いままで花が咲いて実がついちゃったけど、これ以上背は伸びないのかなあ?」

 次女が答えた。

「植物は賢いから、自分が根を張れた具合で自分を支えられる高さまでしか背丈が伸びないよ。プランターが浅いし、小さいからだね。」

 子どもに脱帽し、私はまたこうして賢くなった。

 ピーマンも、白い花の後まぎれもなく小さなピーマンらしきものが付き、そしてそれがだんだんに膨らんでくる。この白い花が、風で揺れても簡単に落ちるし、まして本来洗濯を干すためのベランダであり、洗濯物がどうしても触ってしまうため、花がたくさん咲く割に実が少ない。うっかり触っても花が落ちるから、収穫の時にも神経を使う。だから収穫は余計にわくわくする。そして取り立てピーマンの何とも言えないかぐわしいいい香りも加わって、死ぬほどおいしいのである。お百姓さんは、風や飛んでくるものをよける意味もあってビニルハウスにするのであろう。

 きゅうり&朝顔カーテンも、葉が茂ってすごいことになってきた。私のところのベランダではカーテンを支柱で作る方法しか取れず、支柱を組んでからそれにネットを張ってカーテンに仕上げたが、きゅうりがたくさん欲しくてよくばった腐葉土の栄養がよかったせいか、きゅうりも朝顔も一枚一枚の葉が異常に大きく、支柱が重みで倒れやすくなってきた。これも、支柱を刺したプランターの深さが高さの割に浅かったためであった。

 そしてきゅうりも小さな雄花雌花が咲き始めた。ところが、一向に雌花の子房のところが膨らまない。私が

「どうして雌花がきゅうりに育たないのかなあ?」

と言うと、三女が

「きゅうりは人間が受粉したほうがいいのかもしれないね。小学校のころ、学校で筆を持って花粉をめしべにつける作業をやったことがある。その時はどうしてそんなことをするのかわからなかったけど、ここはベランダだし、思うようには虫が来ないからきゅうりが受粉できないのかもしれないね。」

と言った。そして、手芸用に使っていた筆をおしげもなく貸してくれた。

 しかし、その時にはすでに雌花がしぼんでしまっていた。その二日後のことである。気のせいかなと思っていたきゅうりの葉のカビのような白い紋様がはなはだしく増えていた。それは日に日にあっという間に全部の葉に広がっていった。

「これは病気だよ。確かうどんこ病かな?急いで消毒しないとね。虫じゃないから木酢液ではだめだよ。」

と三女が言った。私は泣く泣く、急いで買ってきた消毒剤を葉に吹き付けていった。

 そしてひどいうどんこ病にさらされたきゅうりは、私が筆を持って、受粉作業を待っているというのに、なぜだか一向に雄花しかつかなくなった。

 また今度はオクラに異変が起こった。葉が異様にひどく食べられて、しかもくるりとまかれてある。このパターンはどうやら虫である。本に書かれてあるように虫の本体を探したが、どうしても見つからない。見つからないまま、どんどんオクラは犠牲になって、葉がかじられてなくなっていった。やっと虫体を見つけた時には、まともな葉がいくらか残るのは実に一本だけになっていた。その一本のオクラの丸まった葉の中から丸々太った蛾の幼虫をやっと見つけた。虫だって、人間と生存をかけてたたかっていた。

 こうして私はいろいろな野菜の寄生虫や病気とも戦うこととなった。人間はこうしてベランダでも細菌やウイルス、はたまたうどんこ病の真菌類と闘わなければならないのだ。私は悟った。無農薬野菜は、病気や虫に倒れるたくさんの野菜の犠牲とともに成り立つものなのだ。逆に言えば、有農薬野菜は虫や病気の微生物を排除して、やっと市場に出ているのだ。

 それだけでは終わらない。梅雨が明けて、日中の気温は30度前後が続くようになった。ピーマンもトマトもまた花が咲き始めた。次は強い紫外線と熱が襲ってきた。レタスやベビーリーフ、春菊、三つ葉の葉に紋々ができて汚く変化してきた。真夏は葉物はきれいには育ちにくい。植物にも人間の熱中症に劣らずheat  disturbanceがあるのだ。そんな中でニラだけは、10日ごとに15~20cmに伸びて育ち、何の問題もなく確実な収穫を得ていた。ニラをことさらに見直した。

 もう私は、ベランダでの野菜の収穫に中毒となった。もう止められない。家を空けての当直の思わぬ収穫である。葉ものは気温が高いうちはこの状態を我慢して、また秋口に種を撒きなおして、美しく葉を茂らせるとしよう。

 しかしお百姓さんは本当に偉い!

 自然の恵みの太陽はいつも思い通りにはならない。また作物はほんの数日ですべてが虫のえじきになる。つくづく思い知った。病気でダメになるのも、ほんの一瞬のことだ。それらを見越して植物を育てていく。点検をする。手を打つ。育てる植物に合わせた土を調合し、水回りを始め、来る日も来る日も休まず作物に見合った世話をする。そしてまた虫害や病気の手当てをする。

 お百姓さんとは本当にすごい人達である。そして農業とは本当に素晴らしい分野である。

 もしも震災に会い、食糧調達を受けるようになったら、スコップとプランターと土と肥料と種や苗をもらいたい。そしてあとは自分たちでベビーリーフなどの葉物野菜を始め、たくさんの野菜を作りたい。

 P.S.)(これはごく初期の無農薬を狙っていたころの作品です。2年たった今は、医師である私は適切な薬物オルトランに頼って窃盗犯退治をしています。薬物はなんと、ちゃんと植物の体内で新陳代謝でしっかりこ!と分解され、2~3週間で効果がなくなってしまうのです。防虫効果が切れてきたことは、葉にぽつぽつと穴が開き始めるのですぐにわかります。薬の効果の切れ目を狙うなんて、昆虫も生きるためには必死なのがよくわかります。新陳代謝による薬効切れを知って、中国野菜の『残留農薬濃度オーバーの野菜販売』の事件を初めて理解しました。

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