小説
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拾い猫 ポン登場!         

 ポンは、四女が拾ってきた猫である。当初はうちで飼うはずではなかった。仔犬や仔猫を捨てる人達は、丁度ゲーム会社のように、子どもの心を巧みに利用して、その利を得る。学校の帰り道に、子ども達が見かけるように箱の中に入れておくと、子ども達はまずそのかわいさ、そしてぬくもりに惹かれ、やがてそのぬくもりから離れられなくなる。自分で飼えなくても、子ども達は自ら何か餌や牛乳を調達して来て仔犬や仔猫に与え、そして自主的に、そして皆で協力して飼い主探しを始める。そしてそうのこうのしているうちに、自主的動物愛護活動をする子ども達の家が引き取るはめになる。仔犬や子猫を捨てる人は、そういう家の親の苦労も知らず、平気でそこいらの子どもの通学路に捨てるのだ。私はそういう大人に、『子猫の飼い主大募集を新聞の伝言板に出す』などの方法もあることを教えてあげたい。ないしは、子どもに飼い主探しを任せ、そして飼い主が決まった場合、足労をかけた子どもに御礼をし、引き取ることになった子どもの親に多大な義援金を送って欲しい。そのために、せめて捨てた仔猫や仔犬の首にでも、住所氏名を書いた札をくくりつけていて欲しい。ねぎらいの言葉も欲しい。

 こうして、お定まりのパターンで、ポンは通学路でうちの子どもとお友達に拾われた。三匹捨てられていて、一匹はお友達の家にしょっぱなから引き取られていった。うちには既にその時、ウサギが四匹いた。  
 以前に猫を連れて私の家に家出をしてきていた女の子がいた。その日を持って、我が家の子どもはその子を入れて五人になり、ウサギが四匹、ハムスターが八匹ほど、主人が一人、それにその女の子の仔猫が一匹加わった。その女の子が道路でその日に拾った仔猫であった。おかあさんに拾ったこと事態を強固に叱られために、私のところならきっと許してもらえると思って、二人で、いや一人と一匹で駆け落ちのように私のところに家出をしてきたのであった。目やにで眼がわずかしか開かないまま、道路を横切ろうとうろうろしていたところを、その女の子がバイクで走行中にみつけ、Uターンしてバイクの上から拾い上げた、眼が開いたばかりのわずかの日齢で、おまけに目やにで眼がわずかしか開けられない仔猫であった。家に連れて帰ると、おかあさんに
 「病気持ちで汚くて、どうせすぐ死ぬような仔猫を連れて帰ってきてはいけない。この間も仔猫を拾ってすぐに死なせた。あなたには命の責任も持てないはずだ。」
と言われ、私の家の玄関に立っていた。おかあさんの言い分も至極最もっともであり、それもよくわかっているゆえにその子は家に帰ろうとしなかった。私が生物の命を預かる医療従事者であったこともあったであろう。また行き場のない思いのときの行き先の一つであったからであろう。

 その仔猫の結膜炎は、確かに私の処方で治った。
 それからは日が経つに連れ仔猫は成長し、いやはや、大変であった。炊飯器の上を陣取り、私が朝ご飯の支度に急ぐときにも、目を閉じたままで、全く時計を見ることなどもしないため、私のあわただしさを理解してくれない。ウサギにもハムスターにも、前手?でちょっかいを出そうとする。私達の大好きな、また大事な洋裁&手芸材料がおネコには楽しいおもちゃになって、ぐちゃぐちゃ・・・・。なにかにと爪跡とをつけて、まさに台風・・・。我が家にはすごいカルチャーショックなおネコの登場ではあったが、その女の子がピーターパンのお話のウエンディーのように、うちの子ども達のいいお姉さんをしてくれるので、それはそれで、本当に幸せな楽しい日々であった。また今よくよく考えると、その仔猫のしつけはその女の子が一生懸命していたと見えて、またそれがよく出来ていたのだと思う、炊飯器占領と手芸材料撹乱、爪とぎなどのいたずら以外にはさして困ったことはなかった。
 そのうち四、五ヶ月たって、その女の子のおかあさんが根負けして、おネコとその女の子は堂々家に帰っていった。

 またおネコか!私は今回はうなってしまった。鳩やハムスター(自転車で通っていて道路を這っているのを見つけた)の場合は、あまり悩まなかった。しかし子ども達は親思いである。私の都合のほうを考えてくれて、
「今日は見捨てるわけにはいかないから、とりあえずこの2匹は連れて帰ってきたけど、私が責任もって、誰か飼い主を探すからね。かあさん、大丈夫だからね。」
と言った。親ばかのようであるが、いや、私は本当にバカであるのだが、小学校4年生の身で『責任もって、飼い主を探す』宣言?この仔ネコ達の親猫の飼い主の年齢は、『しちゅれい(失礼)』なようだが、いったい『おいくちゅ(何歳)?』なのだろう。但しもちろん子どもは子どもであり、実はそのあと現実は厳しく、そして今、その2匹のうちの1匹であるメス猫ポンは我が家でお高いところから我が家を支配し、君臨しているわけである。でも、この『責任持つ』の心は、四女の育て主である私にとっては嬉しいものであった。

 それからの日々、お友達を連れて、この冬の鳩の時のように仔ネコ達を連れての家庭訪問に入った。今度は、鳩のときと違って、『猫インフルエンザ』の心配はなかった。私には、『仕事場の壁に仔ネコの飼い主大募集の張り紙を。』の指示が出た。毎日仔ネコ達を順番に手のひらに載せ、まだ自分でおしっこも出来ない日齢だということらしく、粉ミルクをのませてはネコ好きな友達の家で習ってきたテクニックで、一日何度も排尿を上手に促していた。密着ケアのNICUスタイルであった。
 しかし四、五日して、子ども達の交友関係だけではどうやら飼い主のめどはつかなくなってきた。目の前に丁度春の運動会が転がっていた。四女は運動会の日に、鳥かごに仔ネコを入れて、その仔ネコを連れて運動会を見に来てくれと言った。そこならば、小学生の親たちも来るので、親達に直接仔猫ネコ達を見せて、その場で話がまとまる、小学生である子どもを板ばさみにしなくて良くなるので、子どもにもいいし、親にもいい、そのほうが早い・・・と言うのである。さすがこの道数ヶ月、いくら家庭訪問をしても、家に親がいなければ、親の許可を取ることは無理であり、ダイレクトに親に当たる必要を過去の鳩を連れての家庭訪問の経験で学んだようであった。
 なるほど・・・と思い、私は運動会の日に、片手にお弁当や敷物、片手に2匹の仔ネコ達のいる鳥かごを持って、子ども達の通学路を歩いて登校した。
 四女の言うとおりで、沢山の人に仔ネコ達はお目見えすることができることになった。「競技中なので、あとでまた見せてください・・・。」と声をかけて立ち去る顔を見知らない人もいた。しかしそこへ・・・職務に忠実な方がおいでられて、日よけ帽子の下から
「おかあさん!学校にはネコアレルギーの人がいるんです。ネコアレルギーというものは、危険ですから、早急にネコは退去してください。この間も一人、猫アレルギーで救急車で運ばれた生徒がいましたから。」
とのことであった。(後ほど判明したが、これは多少脚色のあった事実である。)
 私は、私達の小学校の庭にいつも堂々遊びに来ている、どこか学校の近所のネコのことをうらやましくもねたましくも思いながら、子どもの競技もそこそこに、仔ネコ達を連れて早急に退去せざるを得なかった。まことに『ネコのアレルギーは恐ろしい!』ものなのだと、素人としてつくづく実感した。鳥かごの中の仔ネコ達は、玄人の人達には『危険動物』であることを悟った。アレルギーとは、確かに微量でも反応を起こす・・・。ネコの危険性を再認識である。

 昼ごはんの時間になって、子ども達が帰ってきて、さっきまで自慢だった我が家の拾いネコ(我が家では、『捨て猫』という呼称に対抗して、拾われたネコを『拾いネコ』と呼ぶ)がいなくなっていることに愕然とし、私から事情を聞いてがっくりした当の四女は
「かあさん、ごめんね、たいへんだったね・・・。」
と玄人から叱られた私を慰め、いたわってくれた。
 かわいい2匹の拾いネコなきあとの昼食を家族でわいわい食べながら、四女は次の計画をもう立てていた。
「かあさん!小学校でみつからなかったら、日曜市のところに行けばいいんだって。そこでネコの飼い主を探せるんだって。役員の後片付けが終わったら、すぐに行こうね!帰ったら、すぐにネコを連れて校門のところで待っててね!」
 四女はいつも確信がある、私が彼女の人生に、すべて黙って従ってついてくるものと。
「飼い主がそんなにうまく見つかるかなあ・・。」
と言う私に、次女が
「無駄になる可能性もあるけど、やってみないとわからないよ。」
と言った。その言葉を聞いて、私は心を決めた。どこまでもついて行こう!

 夕方は、運動会で自分が疲れているという事情にもまるで気がつかず、そのような無謀な計画を立てたりして、どうかなと思いながら、私は家に往復し、ネコアレルギーで運ばれてしまいそうな子どもにひたすら気をつけながら、また校門のところで誰かもらってくれる親子がうまく見つからないものだろうか・・・とひそかに期待しながら、鳥かごの仔ネコ達を連れて、校門のところで四女を待った。

四女は玄関のところから走り出てきて、
「行こう、かあさん!」
と私の手を引き、ここで飼い主が見つかるかも・・・とネコを強調して校門の散歩外に立つ私の意図には気がつかず、さっと車に飛び乗って、『いざ日曜市!』ということになった。

 行ってみると日曜市は、運動会も終わったような時間ではすでに各出店も帰り支度に入っていた。仔ネコをどこで・・・と思って、適当な場所を探していると、
「ネコの飼い主探しかい?ネコなら中央公園に行けば、動物愛護協会のネコとか犬とかいるよ。」と、見知らぬおじさんが教えてくれた。
 「よっしゃ!」
と張り切って、四女は自分で鳥かごを持って中央公園にさっそうと向かい、動物愛護協会のところを見つけると、誰もいないで飼い主募集の張り紙だけの動物たちの横で、自分の仔ネコの鳥かごを置き、しばらく通りを眺めていたが、やがて、
「仔ネコはいりませんかあ?かわいいですよー。オスもメスもいますよー。眼が開いて、まだ日にちがたっていません、かわいいですよー。」
と、通りを行く人達に声を上げて呼びかけ始めた。私は、その隣でうなっていた。私もやるべきかなあ・・・・と。
 四女が呼びかけ始めると、確かに立ち止まる人が増えてきた。そして、かがみこむ人、かわいいと声をあげる人・・・・。
 四女もだんだんいろいろと考えて呼びかけるようになった。
「さわってもいいですよ~。」
「手にのせるとかわいいですよー。」
「寝顔もかわいいですよー。」
「飼い主を探していま~す。」
 私もやってみた。娘との共感が、なんだかだんだん楽しくなってきた。
 そして、30分ほどすると、覗いては立ち去る人だけではなくなってきた。ある年配の女性が、娘らしき人にその場で携帯で電話をかけ、
 「かわいい仔ネコがいるよ、飼い主探しているらしいけど、どうする?」
と言いながら、
「この仔ネコは生まれてどのくらい?」
と聞いてきた。四女は待ってましたとばかりに、『拾ったのではっきりはしないが、多分3週間だ』と答え、
 「毎日夜も3時間ごとに起きて、ミルクをあげています。」
と、うれしそうに胸を張って付け加えた。するとその女性は、携帯に向かって
 「夜中も3時間ごとにミルクだって。そしたらやめとこうか。大変よね。」
と娘さんらしき相手に話し、そのまま立ち去った。
 ここに来て私は、うちの子ども達が4人で交代々々に夜中も授乳をしていたことを初めて知った。また人間の子どもを育てたことのある大人達にとっては、仔ネコへの3時間ごとの授乳というものは却って大変なことらしいという、一般的概念も初めてよくわかった。そして子どもは、夢や優しさのエネルギーで昼も夜中もアクティヴに生きているものなのだとつくづく思った。

 四女は、そのあとちょっと考えこんでいたが、
 「かあさん、3時間ごとにミルクをあげることは、最初からは大人の人達には言わないほうがいいの?」
と言った。確かに夜中や早朝の授乳は、彼女には誇らしげな役割であったのだ。
 「なんだかそうみたいね。」
と返事した。四女は
 「わかった!大人には、そのことは訊かれるまで言わない事にする。かわいいと思って、その大人がどうしても欲しくなってから言うべきだね。」
と言った。

 後は、彼女の呼びかけに、様々な人が立ち止まり、彼女と言葉を交わしては、立ち去っていった。
 その中に、若いカップルがいて、『今すでに一匹のネコがいるが、もう一匹欲しいとは考えているので、一応名前と電話番号を教えて欲しい』とのことであった。ネコにも私達二人にも、地球上の生物全てに優しそうなオーラの出ている二人であった。
 もしもこの二人にもらわれたなら、きっとこの仔ネコは幸せになる!私はこの救い主に、個人情報である携帯番号を、喜んですぐに教えた。変な電話が入ることよりも、彼らから好意的な返事をはるかに大きく期待して!
 それからも四女は、仔ネコ達が引き取られて欲しいという願いをこめた商談を繰り返ししていた。四女の学んだことは、『子どもが寄ってきてもだめだ、子どもには決定権はない。また子どもはすぐに大人に、置いてくよ・・などの言葉でせかされ、じっくり見るとか触るどころではない。逆に大人が寄ってくる場合は、これらの仔ネコのそばで十分長居をするし、我が家で飼うのはどうだろうという話し合いにもなる、だから、大人のほうにねらいをつけて話をするほうがよい・・・・。』というものであった。『なるほど・・・。』である。

 日も暮れてきて、動物愛護協会の動物たちも迎えが来て家路に着いても、四女は中央公園入り口で声を張り上げていた。そのうち小雨も降り出したので、そろそろ帰ろうと促したが、もう少しがんばりたい と言うので、家のほうに帰れない旨連絡をして、商店街アーケードの中に入った。四女はさすがに疲れてきて、アーケードの中の靴屋さんの前の長いすに座っていた。ほどなく8時が来て、目の前の靴屋さんが
 「閉店の為、すみませんが・・・。」
とそれらの椅子を取り込み始めた。もうそろそろ帰ろうか?と尋ねると、
「まだ一匹ももらわれていないのだから、帰らない!」
と言う。それからは大丸デパートの裏のアーケードの中のベンチに行き、そこでまた、まばらになってきた通る人達に呼びかけていた。夜のアーケードの定番の占い師も出てきたが、だんだん酔い客も出てきた。
 占いの人も暇だなあ、私が占いを見てもらって、占い師がネコを引き取ってくれたら丁度なんじゃないか・・・などと胸の内で取引を考えていると、ふと見ると鳥かごの中の仔猫もベンチに座っていた四女も寝ていた。
 そこで四女をそっとゆすり、もう帰って寝ようかと尋ねると、半分目を閉じたまま、
「仔ネコ、もらわれた?」
と言うので、呼びかけをあきらめてサボり、占い師との取引を勝手に考えていた大人の気持ちに罪悪感を感じながら、
「まだ。」
と返事をすると、四女はベンチから起き上がって、誰もいないのに寝ぼけた声で、
「かわいい仔ネコ・・・・誰かいりませんか~。」
と言った。するとそこに外食からの帰りと思われる一組の親子3人が現れ、本当にかわいいねえ・・・と遊んでくれた。とても優しい素敵なおとうさんと、幼い男の子二人であった。仔ネコに張り合うほどかわいい、おとうさんとネコのようにじゃれあう男の子達であり、そのふたりの男の子からおとうさんのぬくもりも伝わってきた。
 その3人が去った後、そのぬくもりはその場に残っていた。そのぬくもりになんとなく満足したのか、四女は帰ることをやっと了承した。9時半であった。
 家から車で近くまで迎えに来てもらって、車に乗り込んだ途端、四女にはもう意識はなかった。意識が戻り、会話が出来るようになったのは、次の日の昼前である。この日の夜から次の昼までの授乳について、意識不明の四女を見て授乳担当臨時当番を話し合ったのは、上の3人の子ども達であったらしい。その割り当ては私には不要であったようである。

 そして、1週間後、あの日の若いカップルから携帯に電話が入り、オスは本当に引き取られていった。残ったメスは、私の仕事場の張り紙で、ある患者さんの家にもらわれることになった。しかし『一ヵ月後に』というのが、その後一端延期になり、そしてそのメスの仔ネコは、『延期』が開けるのを待って、今だに拾い猫として、うちにいるのである。

 夜中の授乳はもう必要がないが、お行儀が悪いことについては日々、大人である私が後始末係である。
 心底猫好きではない私は、よその猫を見ては、今でも『うちのポンだけは、特別にかわいい!』と思っている。

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